ゆっくりメンタルクリニック
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5.6万 回視聴 ・ 2083いいね ・ 2025/05/02
ゆっくりメンタルクリニックをご視聴いただきありがとうございます。
現実的な話としては、擬態というものを考えた場合、教科書的な知識だけでは自閉スペクトラムを知るにあたって不十分であると思えます。
星野アイの自閉スペクトラムについて考える動画はまだ続きます。よければ見てください。
今回の動画のアイの考察は↓2作の続編となっています。
「推しの子」星野アイは発達障害なのか!? 前編
• 「推しの子」星野アイは発達障害なのか!? 前編
「推しの子」星野アイは発達障害なのか!? 後編
• 「推しの子」星野アイは発達障害なのか!? 後編
また、自閉スペクトラムに対する考察は↓3作の続編という位置付けです。
【自閉スペクトラムは自己診断できるのか?】スパイファミリー・ヨルから学ぶ【自閉スペクトラム哲学的考察】
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ヨルとチェンソーマンから学ぶ自閉スペクトラム 哲学的考察
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ぼっち・ざ・ろっく!から学ぶ自閉スペクトラム哲学的考察 配慮とは何か?関わりとは何か?
• ぼっち・ざ・ろっく!から学ぶ自閉スペクトラム哲学的考察 配慮とは何か?関わ...
できたらあわせて見てほしいです。
参考・引用:
「無限振子 精神科医となった自閉症者の声無き叫び」 著:Lobin.H 協同医書出版社
©️赤坂アカ✕横槍メンゴ/集英社・【推しの子】製作委員会
推しの子 1-16巻
https://www.amazon.co.jp/dp/B08MGXW2M...
「ドラえもん」16巻 著:藤子・F・不二雄/©藤子プロ 小学館
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B011...
ぼっち・ざ・ろっく!
著:©️はまじあき
芳文社、アニプレックス
『SPY×FAMILY』
©️遠藤達哉・集英社
今までにない動画演出にしようと挑戦するような気持ちで日々制作中です。
今回はいかがでしたでしょうか?
ご感想、コメントいただけましたら励みになります。よろしくお願いします。
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※この動画に出てくる患者さんの例は実際の臨床経験に基づいてはいますが、プライバシー、個人情報に配慮し、実際とは大きく改変して表現しています。フィクションに近いものであると理解して頂けますようよろしくお願い致します。
※本動画で作品紹介のため引用している画像の著作権は利権者様にございます。
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#推しの子
#星野アイ
#自閉症スペクトラム
コメント
関連動画
再生方法の変更
動画のデフォルトの再生方法を設定できます。埋め込みで見れるなら埋め込みで見た方が良いですよ。
現在の再生方法: education
ASDの擬態は「ちょっと変だけど面白い人」枠になることです
「普通の人」になろうとしても非言語的な部分で定型発達の言動を完全に再現できずバレます
自分も10年近くかけてやっとそこそこの擬態能力を完成させましたが、ひどく疲れる上に少し生活に変化があっただけですぐ鈍ってしまいますし、それでも「何となくキモがられる」状況から抜け出すには程遠かったです
もし定型発達を完全に再現できる発達障害者がいるとすれば、その人は少なくともASDではないでしょう
前回の動画から見るにアイは演技性パーソナリティだと思ってた
自閉スペクトラム関係なく、自分の本心が人に受け入れられることはないと諦めているからこそ[擬態]するんだよ。
本人ですらちゃんとわかんない部分だしルビーと監督どっちがより近いのかはわかんないけど「見抜いていた人がいる」ってのは大事なんですね
擬態を見抜ける人すげえわ
擬態というと「コンビニ人間」という本も面白いです。
自分という要素は周りの環境から出来ていて、その環境によって昔の私から少しずつ段々と薄れて入れ替わっていくような感覚。
久しぶりに会いたかった友人と会った時全然違う人になっていて私が会いたかったのは「あの時の友人」だったのだと感じるあの感覚をえがいています。
何というか、アイって最初から存在しないものを求めている感じがするんですよね
『擬態』そのものが『星野アイ』の本質であって、『愛を持たない』事が人格の核というか...『リングは穴があるからリングである』のと同じ
感情の爆発とか擬態の解除は本心の発露ではあるけれども、それは『本当の自分』とイコールでは無いと思うのです
ルビーのアドリブは「正解」ではないけど本物のアイに「近い」と思う
でも近いだけでまだ足りない
アイの思考の推移の予想
自分は他者と感じかたが違うから、周りや自分がどうしたとしても幸せにはなれないという絶望
↓
社長の「嘘でもいいじゃん」という言葉から、自分が人を幸せに出来るかもという希望を感じる。そしてそれを実行することで自分も幸せになれるのではと考える
↓
「私は努力して人を幸せにしてあげている、だから皆も努力すべきだし私に何かを返すべき」という思考(ここはドライな人間関係から考察)
もしくは、私の幸せのために貴方に~している、という自己完結?
↓
アクアとルビーを通して「見返りが無くても何かをしてあげれる事が愛ではないか」と仮説(※1)を持つ
ファンが自分に向けている感情もそれであることを理解し、恩を返すというスタンスに変化
↓
刺された時に、「これ以上自分が他者に何かできない」ということに対して、謝罪の言葉
死ぬ寸前にこれから死ぬ自分が自分のことではなく他人を思っているという事実(※1の仮説は正しかった)に、愛は嘘じゃないと確信
アクアが「アイは泣かない」というのは、アイとは人のために尽くす存在(医者として他人を助ける自分と重ねて)だという視点から見ていたのかなと、何でもない少女が生きていくために作った姿がアイで、それを作り出した「誰か」がアイの裏に存在する訳ですが、それはアイとは別の人物だと私は思います。
アイが本当の私を取っても良い、というのはアイがして欲しいんじゃなくて、それをすることで周りが喜ぶからしても良い(周りのためならしたい)ってことで、それは人のためにってスタンスのアイだからその奥にある「誰か」にまでは届かなかったのかなと思いました。
こうやって見ると推しの子は惜しい作品だったな、と。
擬態を解くと声が出なくなるとか想像がつかないですね。
おかしいな…私
「推しの子」のアイについて知ろうと思って動画開いたはずなのに、いつのまにかLobinさんが今まで置かれてきた状況や心情にとても共感していた。
推しの子の考察と共に自分とは何か考えさせられるいい動画でした。
ありがとうございます
私の見解ですが、素のアイ自身はさすがに孤独による負の感情そのものは感じているものの、物理的に泣くという行為には決して至らないと考えています。
「泣くことは、悲しいという感情のあくまで一部である」「でも泣くことが悲しみのすべてではない」「悲しみにつながる表情や仕草はすべて消しておけばこの場は解決」という認識でアイは生きていて、 我々が見る限りは完全に隠しきってしまっていると考えています。アイ(役名)ならこういうとき泣かないはずだ、と。実際、アイの過去からして、演じるごっこ遊びの延長として、辛い状況を耐えるための演技ノウハウは豊富だったのではないでしょうか
それでもルビーは泣くと考えたのは、二つ理由があります。
一つはアイがアイドルとしてのアイを演じる必要がない、例えるなら映画を撮るときのカチンコから外れた時のような、本当のアイを間近で見ることができたからではないでしょうか。泣きはしなくても、泣くほどに辛い悲しみは感じていたと。
もう一つは、アイに対する世間の仕打ちを見ていて、ルビー自身が感じた悲しみや絶望感を癒すため。
アクアは泣かないと考えたままなのは…こればっかりは分かりませんが、ルビーは授乳など肉体的スキンシップが多かった半面、アクアは自身が忌避して殆どありませんでした。ルビーはカチンコが外れた状態のアイを触ることができ、鼓動や筋肉の緊張などからより情報が多く得られたから?と考えています
ずっと「彼女」に助けて貰い、全て任せてきたから「彼女」のレベルだけが99になってしまい、一方で任せる一方だった「私」のレベルは1のままになっちゃった訳か。
そこから「私」を取り戻そうとしても自ら育てた「彼女」に勝てるわけないよね。
仮に30歳で自分を取り戻そうと思っても、そこからもう一周(60歳までかけて30年分の)私を育て直すくらいのRPGしなきゃいかんのかもしれん(しかも本物の子供時代を過ごした「彼女」とは違って社会的には大人としか見てくれない超絶ハードモード)。
かつて「色んな状況に合わせて自分を作っちゃうから本当の自分が分からない」と相談してきた人に対して「色んな状況の貴方を全部を含めたのが貴方じゃないんですか」と答えたことがあるけど、間違いだったのかも知れない。
それは私から見た“彼”であって、彼にとっての“私”では無かったのかもしれないから。
相手の擬態に気づくこと自体は良いコミュニケーションだと思うけど、暴くってことには慎重でありたいね
相手の過去は分からないし、知った気になるのが一番まずい
手帳持ちのASD(ADHDも併発)の当事者ですが、ASDの『擬態』は定型発達に違和感を与えやすいです。
それは、非言語コミュニケーション(目線の使い方、間の取り方、暗黙の了解の認識、空気を読む・察する能力……など)に出やすいです。
その為、ASDで『擬態』して人気者になれる人間が居るとは思えません。
アイがASDである可能性には違和感を覚えます。
擬態はユングのペルソナの概念と同じものって思った。
誰しもが擬態(ペルソナ)を持ってて、普通の人は難なく適切に使いこなせるけど、ASDの人の場合、習得や使いこなすのが大変だから、しんどいと思う。
ずっと擬態し続けてる当事者なのでなんだか理解できるような気がします。
本物が傷つかないよう、一生懸命皮を被って傷ついてもいい表層を作り続けた結果、ありのままの自分は見えないものになっていきます。
キャベツとか玉ねぎみたいに本当の核になる部分と外側の区別は明確にできなくてグラデーションになってると思っているので、空虚な自分だけが残ります。
私は、明確に医療機関に診断され『緑の手帳』も持っている『自閉スペクトラム症』の人間です。そして、それを私自身が知って以来あえてオープンにしています。
ですが、私と接する人々はこう言います。
「全然そうには見えないよ、普通に生活できてるよ。」
もしこれがお世辞ではなく本心からの言葉なら、そしてこれが私の『擬態』ならば、私も『私』がありません。演技をしているつもりが本当に全くないからです。
これは私が無意識に『擬態』しているからで、それが成功してしまっているからでしょうか?
はたまた、『擬態』ではなくたまたま私の特性が『社会』に適合しているからなのでしょうか?
この動画を観て、私はふとこのような事を思いました。
乱文失礼致しました。
自分は軽度asdだが、周りに興味が持てないタイプなので擬態出来る人は本当に凄いと思う。
動画の中のアイは「生きてたら救われていただろうな」と想像できるんだよね。「孤独という苦痛」から「擬態」が始まるのはロビンさんやアイ、自分は一緒やけど。少なくともアイは「孤独という苦痛」が「擬態」によって解消されてる。自分も「孤独による苦痛」が無くなったんは「擬態」のおかげだから、それを続ける選択をしてる。アイは「擬態」で社会に馴染めているし、子供達や社長に「本当の自分」や「胸に秘めていた孤独」もいつか明かせただろうに……
このチャンネル、本当に分かりやすく作り込まれててすこ。素人でも噛み砕ける。
DDLCの4人を精神医学的に解説して欲しいなあ
@閃き専用アカウントやあやぁ
ASDの擬態は「ちょっと変だけど面白い人」枠になることです
「普通の人」になろうとしても非言語的な部分で定型発達の言動を完全に再現できずバレます
自分も10年近くかけてやっとそこそこの擬態能力を完成させましたが、ひどく疲れる上に少し生活に変化があっただけですぐ鈍ってしまいますし、それでも「何となくキモがられる」状況から抜け出すには程遠かったです
もし定型発達を完全に再現できる発達障害者がいるとすれば、その人は少なくともASDではないでしょう
@叫喚阿鼻-r4e
前回の動画から見るにアイは演技性パーソナリティだと思ってた
@Noah-nv1zc
自閉スペクトラム関係なく、自分の本心が人に受け入れられることはないと諦めているからこそ[擬態]するんだよ。
@碧井軌跡
本人ですらちゃんとわかんない部分だしルビーと監督どっちがより近いのかはわかんないけど「見抜いていた人がいる」ってのは大事なんですね
擬態を見抜ける人すげえわ
@さくらんぼ-39
擬態というと「コンビニ人間」という本も面白いです。
自分という要素は周りの環境から出来ていて、その環境によって昔の私から少しずつ段々と薄れて入れ替わっていくような感覚。
久しぶりに会いたかった友人と会った時全然違う人になっていて私が会いたかったのは「あの時の友人」だったのだと感じるあの感覚をえがいています。
@イチジクのタルト-q6m
何というか、アイって最初から存在しないものを求めている感じがするんですよね
『擬態』そのものが『星野アイ』の本質であって、『愛を持たない』事が人格の核というか...『リングは穴があるからリングである』のと同じ
感情の爆発とか擬態の解除は本心の発露ではあるけれども、それは『本当の自分』とイコールでは無いと思うのです
@猫猫-o7y
ルビーのアドリブは「正解」ではないけど本物のアイに「近い」と思う
でも近いだけでまだ足りない
@suraimu-cm8sk
アイの思考の推移の予想
自分は他者と感じかたが違うから、周りや自分がどうしたとしても幸せにはなれないという絶望
↓
社長の「嘘でもいいじゃん」という言葉から、自分が人を幸せに出来るかもという希望を感じる。そしてそれを実行することで自分も幸せになれるのではと考える
↓
「私は努力して人を幸せにしてあげている、だから皆も努力すべきだし私に何かを返すべき」という思考(ここはドライな人間関係から考察)
もしくは、私の幸せのために貴方に~している、という自己完結?
↓
アクアとルビーを通して「見返りが無くても何かをしてあげれる事が愛ではないか」と仮説(※1)を持つ
ファンが自分に向けている感情もそれであることを理解し、恩を返すというスタンスに変化
↓
刺された時に、「これ以上自分が他者に何かできない」ということに対して、謝罪の言葉
死ぬ寸前にこれから死ぬ自分が自分のことではなく他人を思っているという事実(※1の仮説は正しかった)に、愛は嘘じゃないと確信
アクアが「アイは泣かない」というのは、アイとは人のために尽くす存在(医者として他人を助ける自分と重ねて)だという視点から見ていたのかなと、何でもない少女が生きていくために作った姿がアイで、それを作り出した「誰か」がアイの裏に存在する訳ですが、それはアイとは別の人物だと私は思います。
アイが本当の私を取っても良い、というのはアイがして欲しいんじゃなくて、それをすることで周りが喜ぶからしても良い(周りのためならしたい)ってことで、それは人のためにってスタンスのアイだからその奥にある「誰か」にまでは届かなかったのかなと思いました。
@Syuririn
こうやって見ると推しの子は惜しい作品だったな、と。
擬態を解くと声が出なくなるとか想像がつかないですね。
@__MEWO3
おかしいな…私
「推しの子」のアイについて知ろうと思って動画開いたはずなのに、いつのまにかLobinさんが今まで置かれてきた状況や心情にとても共感していた。
推しの子の考察と共に自分とは何か考えさせられるいい動画でした。
ありがとうございます
@musouryunen
私の見解ですが、素のアイ自身はさすがに孤独による負の感情そのものは感じているものの、物理的に泣くという行為には決して至らないと考えています。
「泣くことは、悲しいという感情のあくまで一部である」「でも泣くことが悲しみのすべてではない」「悲しみにつながる表情や仕草はすべて消しておけばこの場は解決」という認識でアイは生きていて、 我々が見る限りは完全に隠しきってしまっていると考えています。アイ(役名)ならこういうとき泣かないはずだ、と。実際、アイの過去からして、演じるごっこ遊びの延長として、辛い状況を耐えるための演技ノウハウは豊富だったのではないでしょうか
それでもルビーは泣くと考えたのは、二つ理由があります。
一つはアイがアイドルとしてのアイを演じる必要がない、例えるなら映画を撮るときのカチンコから外れた時のような、本当のアイを間近で見ることができたからではないでしょうか。泣きはしなくても、泣くほどに辛い悲しみは感じていたと。
もう一つは、アイに対する世間の仕打ちを見ていて、ルビー自身が感じた悲しみや絶望感を癒すため。
アクアは泣かないと考えたままなのは…こればっかりは分かりませんが、ルビーは授乳など肉体的スキンシップが多かった半面、アクアは自身が忌避して殆どありませんでした。ルビーはカチンコが外れた状態のアイを触ることができ、鼓動や筋肉の緊張などからより情報が多く得られたから?と考えています
@Yotogi_bayashi
ずっと「彼女」に助けて貰い、全て任せてきたから「彼女」のレベルだけが99になってしまい、一方で任せる一方だった「私」のレベルは1のままになっちゃった訳か。
そこから「私」を取り戻そうとしても自ら育てた「彼女」に勝てるわけないよね。
仮に30歳で自分を取り戻そうと思っても、そこからもう一周(60歳までかけて30年分の)私を育て直すくらいのRPGしなきゃいかんのかもしれん(しかも本物の子供時代を過ごした「彼女」とは違って社会的には大人としか見てくれない超絶ハードモード)。
かつて「色んな状況に合わせて自分を作っちゃうから本当の自分が分からない」と相談してきた人に対して「色んな状況の貴方を全部を含めたのが貴方じゃないんですか」と答えたことがあるけど、間違いだったのかも知れない。
それは私から見た“彼”であって、彼にとっての“私”では無かったのかもしれないから。
@kirinlemon1786
相手の擬態に気づくこと自体は良いコミュニケーションだと思うけど、暴くってことには慎重でありたいね
相手の過去は分からないし、知った気になるのが一番まずい
@クララ-l8t
手帳持ちのASD(ADHDも併発)の当事者ですが、ASDの『擬態』は定型発達に違和感を与えやすいです。
それは、非言語コミュニケーション(目線の使い方、間の取り方、暗黙の了解の認識、空気を読む・察する能力……など)に出やすいです。
その為、ASDで『擬態』して人気者になれる人間が居るとは思えません。
アイがASDである可能性には違和感を覚えます。
@ABC-lm3tu
擬態はユングのペルソナの概念と同じものって思った。
誰しもが擬態(ペルソナ)を持ってて、普通の人は難なく適切に使いこなせるけど、ASDの人の場合、習得や使いこなすのが大変だから、しんどいと思う。
@letasnekos
ずっと擬態し続けてる当事者なのでなんだか理解できるような気がします。
本物が傷つかないよう、一生懸命皮を被って傷ついてもいい表層を作り続けた結果、ありのままの自分は見えないものになっていきます。
キャベツとか玉ねぎみたいに本当の核になる部分と外側の区別は明確にできなくてグラデーションになってると思っているので、空虚な自分だけが残ります。
@FALUCONryokun
私は、明確に医療機関に診断され『緑の手帳』も持っている『自閉スペクトラム症』の人間です。そして、それを私自身が知って以来あえてオープンにしています。
ですが、私と接する人々はこう言います。
「全然そうには見えないよ、普通に生活できてるよ。」
もしこれがお世辞ではなく本心からの言葉なら、そしてこれが私の『擬態』ならば、私も『私』がありません。演技をしているつもりが本当に全くないからです。
これは私が無意識に『擬態』しているからで、それが成功してしまっているからでしょうか?
はたまた、『擬態』ではなくたまたま私の特性が『社会』に適合しているからなのでしょうか?
この動画を観て、私はふとこのような事を思いました。
乱文失礼致しました。
@コバンザメよしふみ
自分は軽度asdだが、周りに興味が持てないタイプなので擬態出来る人は本当に凄いと思う。
@渡会悠
動画の中のアイは「生きてたら救われていただろうな」と想像できるんだよね。「孤独という苦痛」から「擬態」が始まるのはロビンさんやアイ、自分は一緒やけど。少なくともアイは「孤独という苦痛」が「擬態」によって解消されてる。自分も「孤独による苦痛」が無くなったんは「擬態」のおかげだから、それを続ける選択をしてる。アイは「擬態」で社会に馴染めているし、子供達や社長に「本当の自分」や「胸に秘めていた孤独」もいつか明かせただろうに……
@YU-yl6pe
このチャンネル、本当に分かりやすく作り込まれててすこ。素人でも噛み砕ける。
DDLCの4人を精神医学的に解説して欲しいなあ